ゲンゴロウは何処へ
- 吉澤 利仁
- 2021年2月22日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年2月22日
稲穂もこうべを垂れては収穫の季節。
秋の訪れは稲刈りとゲンゴロウ。
昨年常陸太田、大宮方面の山奥にある手付かずの水場を30箇所以上調査するも、お目当てのホンゲンゴロウは結局見つからず。
いよいよ全国区で絶滅種に指定され、ちょこちょこ見られてた東北方面でもその姿は幻と化している。
実は赤トンボやメダカも場所によっては絶滅危惧種に指定され、今や自然では中々お目にかかれない生き物の一つになってしまった。
ゲンゴロウはそれこそ昭和の時代には自宅前の水たまりを泳いでいるくらいごく普通の身近な生き物だったのです。
日本に当たり前に存在したものは、今や当たり前ではないのですね。
それは生態系や絶滅に瀕する生き物だけの話しではなくて・・・。
地べたを農薬漬けにし水路を全てコンクリートで埋め尽くした事によって彼らはその姿を消した。
更に外来種(ブラックバスやブルーギル、ウシガエルやアメリカザリガニ等)の影響で日本古来の生態系は破壊されつつある。
晩秋の夕間暮れ、群れをなして飛来する赤トンボを見て、郷愁に浸る私達の心も、きっと彼らと共に消えてしまったのだ。
外来種に比べれば地味で小さく大人しい彼らだが、どこか凛とし控えめで美しい。
これらが「日本人」そのものと重なってならない。
私達の心もあまりに外的なものに惑わされ過ぎていないだろうか。
生きているのに「生きる」事を考えなくとも生きていけてしまう利便さ。
考えずしても陽はまた昇る甘え。
しかしふと我に返ると「あの頃は良かった」などとうん十年前の故郷に想いを馳せては現実に失望する毎日・・・。
私は私自身が少年時代に膝を擦りむきながら山中を探検した事や、葉っぱで指先を切った事、枯葉を集めて焚き火をしたり、夏は汗を冬は鼻水を垂らしながら、それこそ一生懸命遊んだこと、これら全てが大事な大事な思い出の宝物となっている。
今の子や時代を否定するつもりはさらさらない。
人口知能が用意し待っているのは極楽浄土か、はたまた禍殃か。
ゲームやスマホ、コンピューターの時代も素晴らしいし楽しい。
そしてなんとも人間らしい。
でもその対極にあるこれらの事もとても人間らしいから、是非ね、せめてね、今の子にはテクノロジーやインターネットも上等だが、一方では大自然と接する事で「生」を体験させてあげたいね。

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