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ノーベル賞と芸術

更新日:2021年2月23日

昨今、日本の科学者がノーベル賞を度々受賞なされてますね。

これだけ騒がれても私達は漠然と「すごい」と思うしかない。

いや、勝手に「すごい」と思わされてる感は否めない。


「世界一権威のある賞」とか

「偉人の為の賞」とか

「最高峰」なんて言われちゃうと、どうしたってこちらは口をあんぐり、「そんなんだぁ・・・」と別世界の話しのようにすら思えてくる。


ちなみにノーベル賞は全6部門。

やはり個人的に気になる所としては平和賞でしょうか。


過去の受賞歴を見ても、我ら一般の人間にとっては縁もゆかりもありゃしない、えらい賞のようです。

それ故、社会に与える影響力たるや計り知れない。


そんな中、過去に平和賞にノミネートしたアーティストもいましたね。

超有名どころなので知ってる人も多いと思いますが、マイケル・ジャクソンとU2のボノですね。

マイケルは数10億ともいわれる寄付金や黒人教員支援、施設等の建設と訪問はテレビでもよく拝見しました。


ボノは何度もノミネートされてますね。

北アイルランド独立への尽力、アフリカへの支援が有名な所でしょうか。


さて、本題ですが、上記でも分かるように平和賞での芸術家やミュージシャンの「受賞」は今までにありません(ノミネートのみ)。

ボブ・ディランは2016年文学賞でしたが。

しかもこのノミネートも彼らの作品に対してではなく、人道活動としての評価に過ぎません。

そりゃスリラーに平和賞あげるわけにもいきませんからね。


芸術は時代、社会情勢、政治等と密なる関係になければならない。

と唱える方々を結構見受けますが、ノーベル平和賞での無冠こそ芸術における「力」の限界を感じさせるのです。


「この絵画は反戦を表現してます」

「このオブジェは原爆の悲惨さを表現してます」

「このインスタレーションは争う事の愚かさを表現してます」


「表現してます」→「へぇ~」

終了。

表現なんていう作り手も受け手も千差満別曖昧な行為の中に、なにをわざわざ政治や社会情勢、戦争、差別なんて確たる現状を反映させる意味があるのだろうか、甚だ疑問である。

作品なんてものを作ってる暇があるならば、ボランティアの一つでもしてたほうが、よっぽど有意義な気がしてくる。

チャリティーやデモを企画して活動家として動けばいいだろ?


自身の表現力の低さを棚に上げ、これらの事を表現してる風にすれば芸術家にでもなったつもりの奴らを見てると虫唾が走る。

戦争画があっても反戦のメッセージがあっても、政治を皮肉っても反映させても一向に構わないが、それがなければ芸術ではないなんて、お門違いもいいところだ。


「平和」に対してなんの意見も考えもない奴は論外だが、「平和」を芸術の道具にしてふんぞり返ってる奴はもっと許せない。


と、ちょっと熱くなってしまいました…。


ちなみにサルトルは文学賞を「いかなる人間でも生きながら神格化されてはならない」という信念から辞退しているようです。


「ノーベル賞受賞者」というレッテルを忌み嫌ったんだろう。



 
 
 

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