売れなければゴミ
- 吉澤 利仁
- 2021年2月22日
- 読了時間: 3分
先日とある美術関係者の方とブログ上でやり取りをしました。
その方は「売れなければゴミ」、という芸術作品の位置付けをしている方でした。
少し面白い展開だったので、1部私の返答を抜粋してみました。
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では芸術作品において「世に出れば価値」or「世に出なければゴミ」という構図になりますね。
ゴッホの場合生前は世に出ず死後世に出た。
ではもしゴッホに弟が存在せず彼の作品が死後すら世に出なければそのままゴミという事になりますね。
しかしゴッホという画家は確かに存在し「ひまわり」という作品は確かに存在した。
もはやパラドックスですね。
ゴッホの場合生前売れた絵はわずか一枚。担当の医師に贈った絵画も鶏小屋の通路塞ぎにされていたのは有名な話し。
それらの絵画はのちに100億円以上で市場に出回る事に・・・。
19世紀ゴミだったものが20世紀を迎え宝と化した。
ここがアートマーケットのからくりでもありますね。
普通何でも商品というものは売れなければゴミですね。
商売→商品→売れる物→価値
ですがこの方程式がこと芸術作品には必ずしも当てはまらないのが話しをややこしくします。
更にややこしいのは「売れたから価値」の作品もあれば「売れたのにゴミ」な作品がある事。
その逆に「売れないからゴミ」の作品もあれば「売れなかったのにゴミではない」作品もあまりに多い事です。
それらが著者様に「一概に言えない」という心境を生み出してるように思います。
現在活動しているアーティストに「あなたの作品は売れていないからゴミだよ」と一概に言えないやっかいさ。
そしてもう1つ重要な事。
それは「現状では理解され得ない」作品も確かにある事です。
理解できないもの、共感共鳴できないものは売れません。
それが未来を切り拓くとてつもない作品だったとしてもです。
少し強引に持っていくと、これを逆説として「売れる作品は古い」という事も言えてしまうのです。
だからこそ作り手も受け手も「芸術作品」を熟知する必要性があります。
「売れる」「売れない」を突き詰めると行き着くのは「芸術」を理解しているかどうかに過ぎません。
現日本において芸術を真に理解している方はほんの僅かしかおりません。
しかし残念ながらこの数名は権力や財力、地位や名誉のある方々ではありません。
著名な芸術家の方や大学の教授などもいますが、彼らに埋もれいく真に実力のある芸術家を表舞台に引き上げる力も義理もありません。
では誰が?
シャイで無垢な芸術家ほど自分自身のプレゼンなどできません。
作品を創造する力があってもマーケティングや人付き合いにはめっぽう弱いのです。
著者様は「飾る側」の立場と仰ってましたね?
埋もれ闇に葬られる数え切れない現代のゴッホ達をどうか救ってほしい、と、私は作る側の立場として切に願うのですが・・・。
追伸・ゴッホに関しては売れようが売れまいがゴミですけどね(笑)
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