じいちゃん
- 吉澤 利仁
- 2021年2月22日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年2月24日
過去作品への定期メンテで絵画のニス塗り作業。
実家に置いてある作品を物色してたらこんなものが。
これは私が初めて描いた油彩です。
確か17歳。 へたくそ過ぎて笑われそうですがとても大切な処女作です。
私はおじいちゃんっ子だった。 亡くなって17年経つが、幼少の頃はいつもじいちゃんの膝の上に乗り色々な話しをしたり、ふざけたり、甘えたり、毎日一緒に居た。 小学校から帰ると虫かごにバッタやスズムシを採ってくれてたりした。 なんでも知っていてどこへでも連れて行ってくれた。 年齢的に戦争も経験し、本人も戦闘機に乗り戦地に行っていたみたいだ。 しかしあまり多くを語らなかった。 余程の事があったのだろうか。 当時は全く感じなかったが今思うと無口な人だったと思う。 私が初めて油彩画のモチーフにしたのもじいちゃん。 高校の頃、独学で油絵を始めた。 画溶液や絵の具の仕組みなんかも全くわからないズブの素人だったが、きちんと存在する対象をモチーフにし、なおかつ描くにあたってのモチベーションを維持できる対象を選んだ事は初心者として正しい選択だった。 愛するものを描くというのは、絵的にどうであれそれだけで楽しい。 プレゼントした時のじいちゃんの心からの喜びようは今も忘れられない。 その日から三年余りで帰らぬ人となったが、私は死の直前にもう一つ作品をプレゼントしている。 それは花の絵だった。 入院先の病室にいつもお見舞いの花を飾っているのだが、ちょっとでもしおれると替えてほしいとすぐ頼んでいたみたいだ。 じいちゃんの目に病室はそれほど殺風景で寂しく写っていたのだろう。 見兼ねた私は花の絵を描く事に決めた。 それなら枯れないと考えた。 はじめは病室全体を壁画にしようとしたがさすがに断られた。 リアリティーを出す為あえてF6号ぐらいの小さな作品にした。 出来上がって持って行った頃にはすでに起き上がるのも困難で言葉もほとんど発する事ができず、お別れの日が近い状態だった。 とても苦しいはずなのに私の花の絵を見てにっこり笑った。 それは初めて描いてプレゼントした時と同じ笑顔だった。 そして絞り出すような声で「立派な絵描きだ」と言い強く私の手を握った。 じいちゃんはその夜亡くなった。 花の絵はじいちゃんと一緒に火葬してもらい、もう手元にはない。 私は今でも制作する時、どれほど考え抜いて論理的に仕上げようと思っても、エモーショナルな部分を失わないように作ろうとしてしまう。 それは未熟さ故なのかもしれないが、きっとこの体験が関係してるのではないかな。 真実というものはいつも2+2を4にするが、愛が加わると答えを5とか6とか10とか100にする気がする。 間違った答えかもしれないが、それが芸術の「美」の部分でもあるのだろう。 じいちゃんは天国のばあちゃんに花の絵を見せてくれただろうか?
